我々の研究室では数ヶ月という比較的長期の観察を、複数回実施します。しかし、そのような観察にご協力をいただけることは極めて困難です。そのため、本当はおもしろいテーマなのですが、出来ないテーマがいくつか有ります。
例えば、「女子高校における学びの姿」があります。我々には生物学的な性別があると同時に、社会的・歴史的につくられた性別(ジェンダー)があります。教科学習においても、ジェンダーが影響しています。例えば、理科は男性の方が得意だという俗説があります。しかし、キューリー婦人の例を出すまでもなく、科学において活躍された女性は沢山おられます。理科は男性向きという俗説が、理科における女性の行動を制限しているのではないでしょうか。このことを調査するには、女子高校や男子高校のような両性が混在しない集団における子どもたちの姿を見ることによって明らかになるのではと考えています。
また、山間僻地の学校の複式学級は、一般には、児童数が少ないために、しかたなくやっていると思われがちです。しかし、我々の研究室では、そのような異学年が交流する学びの方が自然であると考えております。したがって、そのような複式学級での学びの姿を調べることによって、望ましい学校教育の姿が見えるのではと考えております。
私は定時制高等学校に勤めておりました。そこでは、常に何故学ぶのかを自問し、かつ、生徒たちに語りかけておりました。そのとき気づいたのは、学ぶ意味を教育内容だけに求めても、生徒たちは絶対に納得しないということです。彼らに学ぶ意味を納得させるためには、彼らの属している(属したいと思っている)集団における文化が決定的に影響します。このことは、ぎりぎりの状態でもがいている(いわゆる)底辺校の子どもたちが多くのことを教えてくれると思います。
我々の研究室では、異学年『学び合い』の姿を小学校、中学校で調査しています。それらを発展させ、幼稚園、保育園における異年齢集団の『学び合い』を調査したいと思っております。
上記ようなことに興味がある、女子校、男子校、僻地校、小規模校、底辺校、幼稚園の先生方へ、「日々の実践で、気づいている(または何気なく見逃している)子どもの姿に、彼らを救う鍵があると思いませんか?」!