『学び合い』は実に簡単です。分かってしまえば、今日から直ぐに実行でき、直ぐに子どもたちが変化します。学力が向上し、子どもたちの人間関係が良くなります。不登校だった子ども、学級に戻ります。特別支援の必要だと思われた子が、気にならなくなります。こんな夢みたいな事が、直ぐに起こります。ただし、今までのあなたの学んできた教材・指導法と決定的な違いがあります。それは切り売りが出来ません。根本となる考え方が理解して頂く必要があります。逆に、根本さえ理解すれば、後は自分で考えればいいだけです。教材毎に本を読む必要はありません。何かの技術を覚える必要もありません。
 考え方を伝える最もいい方法は、上越教育大学の西川研究室に入って、2年間、その文化の中に浸れば確実に分かります。だって、研究室の中では、ごく普通に『学び合い』を実践しています。そこに浸れば、子どもの立場から『学び合い』を理解できます。そして、そこでの西川を見れば、「あ~、そうか、本で書いてある○○って、こういうことか」が分かります。逆に言えば、「え???、本と逆のことしているじゃない。あ~、こんなことすると、こんなことが起こるんだ・・」ということが分かります。そして、『学び合い』を理解している上級生、同級生、下級生、さらには
OGOBが勇気づけてくれます。
 が、全ての人が、その機会を得られるわけではありません。職場の事情、家庭の事情、様々です。でも、上越教育大学大学院に入学しなければ『学び合い』を理解できないわけではありません。何度も繰り返しますが、『学び合い』は実に簡単です。分かってしまえば、何で今まで、あんなバカなことをやっていたんだろう、何で今まで、それを気づかなかっただろう、と自分を大笑いできます。が、囚われ、因習に染まっていると、なかなか理解できません。例えば、我々が「子どもを信じる」と言っても、それを否定する人はいません。しかし、我々が「子どもを信じる」というレベルは、普通の先生には信じられないレベルです。だって、我々は数ヶ月間、一言も子どもに細かな指示をしなくても、学習は成立すると信じているんです。せいぜい授業中に言うのは、一生懸命にやっている子どもに、「もう時間だから、やめろ!」という一言レベルです。と、いう、レベルまで信じられないと、本当の『学び合い』は成立し得ません。
 では、どうするか?代表的なものは以下の通りです。

1)本を読む
 我々の実践研究の成果は学術論文で発表しております。しかし、学術論文は読みやすいとはいいがたいと思います。そのため、本を多数出版しております。そこでは厳密な量的分析等は省略し、エッセンスを載せています。全て本は、その本の中で完結するようにしております。従って、どの本から読み始めても大丈夫です。しかし、最近の我々のやっていることは、一般先生の意識から「ぶっ飛んだ」ところから出発しているのでビックリされるかも知れません。「何故、理科は難しいと言われるのか?」(東洋館出版社)あたりから読むのが一番分かりやすいと思います。理科と銘打っていますが、おそらく、理科で虐められた非理科人の方が共感的に分かります。「何故、自分は理科が嫌いになったのか?」、「理科の先生は、なんで、あれほど訳の分からんことをペラペラとしゃべっていたのか?」がよく分かります。そして、自分自身も別の教科で同じことをしていることに気づくと思います。そこでの「教師は教えられない」という基本から、『学び合い』は出発しています。なお、本の詳細は
HPに載せております。

2)本HPを参照する。
 本では分かりやすく伝えることを第一としています。そのため、誤解が生じる危険性があります。そこで、本
HPには「学びの殿堂」というコーナーを設けています。これを見れば、一般の「学び合い」またはグループ学習と『学び合い』が全くの別物であることが一目瞭然だと思います。我々の『学び合い』は、やらされる「学び合い」ではなく、学習者が選択する『学び合い』なんです。
 また、典型的な誤解というものがあります。旧来の囚われで我々を理解しようとすると、どうしても誤解が生じます。私は何度も同じ質問を受け、何度も同じ「応え」をしております。そこで、それを「『学び合い』の 手引き書」として
HPに公開しております。

3)メールする
 これは、ある程度本を読み(全冊読めとは言いません)、数時間でも試みられた方にお勧めの方法です。もし、「本の意味が分からん!」、「失敗した」、「本の通りではない」と思われたら、どうぞ私にメールしてください。失敗する原因は、考え方を理解していないことに由来するものです。考え方を理解して失敗する可能性は、限りなく0です。その様な方からメールをいただくと、二三の質問をメールします。例えば、「その時、成績の良い子どもは、どんな行動していました?」のような質問です。それの返信を読めば、何故失敗したかがよく分かります。その事を何度かやりとり(最大でも5往復、大抵は2往復)で解決します。
 もちろん、試みようと思うが、不安でしょうがないという方もどうぞ。勇気づけのメールを致します。ウエルカムです。
 私は、全国から真摯な先生からメールをいただいております。今まで、一度でも返信を欠かしたことはありません。いつでも真面目に返信しております。

4)遊びに来る
 西川ゼミ研修というのがあります。最低で二泊三日、出来れば、三泊四日、上越においで下さい。西川研究室ぐるみで『学び合い』をお伝えして差し上げます。我々の研究室には、学びの殿堂にアップできない、膨大な実践ビデオの蓄積があります。それは、我が研究室の中でしかお見せすることは出来ません。また、学者バカの私がいくら言っても、「そんなの嘘だろう~」と思われてしまいますが、我が研究室には現役の教師である院生さんがいます。その方が、どんな細かなところであっても、具体的に説明して頂けます。
 大抵の方は、自分の大変革を期待して来られます。しかし、西川ゼミ研修の後に言われるのは、「今のままでいいんですね」という一言です。大抵の人は、発問方法とか教材の変更のことを考えて来られます。しかし、西川ゼミ研修で知るのは、そんなことはどうでも良くって、考え方を変えることが必要だと分かります。

 もし、今の現状に限界を感じ、自分を変えたい人ならば、上記のことをすれば絶対に『学び合い』を会得することは出来ます。残念ながら、我々には、変わりたくない人、変わる必然性を見いだせない人を変えることは出来ません。その人を変えるのは、その人の近くにいる教師集団、そして管理職しか出来ません。しかし、どんな社会においても先駆者はいます。その方だったら、絶対に会得出来ます。『学び合い』は簡単です。本当に簡単なんです。

5)では、何故大学院があるのか。
 もし、機会と状況が許されるなら、どうぞ我が研究室に所属して下さい。上記に書いたように、単に『学び合い』を会得するだけだったら、大学院に入学する必要はありません。そんなの二泊三日で十分です。しかし、大学院に在学することによってのみ得られるものがあります。第一に最先端の『学び合い』を会得できることです。
 我々の研究は爆走しています。「子どもを信じる」という基本は全く揺らいでいませんが、そのレベルが違います。私は二年前の私を「なんてくだらないことに囚われていたんだ・・」と笑えます。本に出せるのは2年前以上過去の成果です。それが世に出る頃には、我々はもっと先を進んでいます。それを知り、その形成に携われるのは、2年間フルタイム派遣の上越教育大学の大学院しかあり得ません。
 第二には、仲間を得ることが出来事です。もしかしたら、いや、こちらの方が第一だと思います。大学院で得られる最大のものは、人との繋がりです。上越教育大学の大学院に入学することによって、おそらく、そうでなければ出会えない他県の先生と出会え、2年間、同じ釜の飯を食べることになります。我々の研究でも、同じ志を持っているならば、出来るだけ異質な人との繋がりの方が得るものが大きくなります。