ゼミ運営をするために、細々としていますが、必要なルールがあります。一つは、「絶対的なルール」で、学生さんの生命・財産を保持するために絶対的に必要と教師として判断したものです。従って、議論の余地無く、設定します。二つめは「再確認したいルール」で、円滑なゼミ運営をするために、今までの歴史の中で作り上げたルールです。ただし、これに関しては、皆さんのアイディアによって、改訂可能です。三つ目は「本当は廃止したいルール」です。このルールは長い歴史の中で形成されたルールです。しかし、方法に介入しすぎという感覚を得ています。従って、基本的条件が成り立つ場合は撤廃可能です。いや、本当は廃止したいルールです。
 学部学生さんはもちろん、30歳を過ぎた現職院生さんに、低レベルの生徒指導のようなことはしたくありません。以下のような条件を守られるとゼミの皆さんの「全員」が同意し、かつ、次の 年度のゼミ集団の「全員」に契約継続の同意がさせられるということが成り立つならば、直ちに撤廃します。ただし、契約成立以降は、 「契約を変えて欲しい」というメンバー総意に基づく積極的な申し出がない場合は、契約が成立しているとします。
1) 基本的に西川に報告・連絡無しでゼミ集団で判断していい。絶対にオレは知らなかったとは言わず、責任は西川がとる。
2) 問題が生じた場合、西川に愚痴を言うのではなく、自らで解決する。ただし、助けて欲しいことがあれば、メンバー全員で申し入れをする。
3) 上記の解決において、メンバーを集団から排除する方法はとらない。

 

 

ホウレンはいりません

 西川研究室では『学び合い』で運営しています。従って、一般には考えられないほど皆さんに任せています。一方、「ほうれんそう」を求め、全ての判断を管理者がやるというところもありますが、西川研究室ではそうしません。相談は受けますが、報告・連絡は不要です。ただし、その場合はゼミ生集団の中で議論したという前提です。 管理者が「ほうれんそう」を求めるのは何故でしょうか?それは従来指導型と同様に管下の集団を信頼していないからです。一方、『学び合い』では学習者集団(つまり管下の集団)を信じています。教師に報告・連絡を求める事例の99%以上は学習者集団の中で判断がつくはずです。ましてや、社会のお約束の中で十年以上生き残った現職教員が含まれる西川研究室であれば一層信頼できます。少なくとも、それを疑った運営より、信頼した運営の方が良いことは100%確信します。

 学習者(もしくは管下の人)が管理者に相談・報告をするのは何故でしょう。第一の理由は、自分で考えること、自分で責任を負うことを放棄するためです。それではパフォーマンスは下がります。さらには当事者が責任を負うことを放棄したら、リスク管理の面でも危険性が高まります。

 ただし、私が信頼してるのはゼミ生集団であって、個人ではありません。個人だったら私の方が優れているものは少なくないと思います。しかし、私があまり係わりすぎれば、私のコピーが生まれます。そして、コピーは絶対に原本を越えることは出来ないのです。ところが、ゼミ集団は私を遙かに超える部分が圧倒的だと確信しています。理屈は簡単です。私であっても、誰であっても、1日は24時間なのです。つまり、ゼミ生集団であれば、私より圧倒的に長い時間、それに関して集中できるのです。だから、ゼミ生集団で考えた結果であれば、それを信頼します。そして、それを信頼したという責任を私は負っています。

 私は、「教師は子どもの人生に関して責任は取れない、だから子どもの自己判断・自己責任を重視すべきだ」と主張しています。それゆえ、「結果の責任は学習者に第一義的にある」と捉えられるかも知れません。しかし、違います。教師も子どもも責任を負っているが、その責任は異質であり、足したり引いたりできないものだと考えています。従って、どちらが責任が重いなんてナンセンスなことだと考えています。なぜなら、両者は異質故に比較できないからです。例えば、学習の結果として子どもの人生が望ましくない方向に行ったとして、その子の人生はその子しか背負えません。それを自覚して、人任せにならず判断することが子どもには必要です。

 逆に、どんなに凄い学級であっても、どんなに凄いキャラクターの子どもが居たとしても、そのクラスの結果は教師が背負わなくてはなりません。「だって、あのクラスは・・」と言い訳できません。教師も子どもも、それぞれ異質な責任を、それぞれが全て担っています。それ故、「全て責任は教師」とも言えるし、「全て責任は子ども」とも言えます。そして、「責任は教師と子どもの両方」とも言えます。しかし、同じような種類の責任を分担していると考えると、どちらがどれだけ、というような低レベルの議論になります。それぞれが全てを担っていると覚悟を持つことが大事です。それ故、教師が子どもに対して「全ては君の責任だよ」ということは大事なことです。しかし、だからといって、教師の責任が無くなるのではなく、子どもが担えない責任を全て担わなければならないのが教師です。だから、給料をもらっています。

 

西川に相談すべきこと

 私はゼミ生からの相談を受けるとき、「それは私に言うべきことではない」と断ることがあります。最短の場合は、研究室のドアを開け「先生、相談が~」と言うか言わないかの段階で、「駄目、出直してきな」と言うことがあります。それはその話の内容が、ホウレンであったり、相談であっても私の前にゼミメンバーと話し合っていない場合だったりするからです。では、私はものの数秒で何故それが判断できるかと言えば、その人の顔を見ているのです。私はその人が抱えている相談事は分かりません。でも、相談する人は、その事をよく知っています。そして、それがホウレンであったり、誰にも相談していないことだったりすることを分かっており、それが後ろめたいことであることを十分分かっているからです。だから、その人の顔さえ見れば分かるのです。

 でも、これが行きすぎると、「西川先生には相談してはいけないんだ」という誤解が生じます。そんなことはありません。私は相談を受け入れます。第一、教えたがりなのですから、本当は教えたくてしょうがないのです。ただ、みなさんのことを考えて、我慢しているのです。

 では、私に相談すべきこととは何でしょうか?第一に、ゼミ全員で話し合ったが結論が出ないことです。これはとても大事なことです。これに関しては、出来るだけゼミ全員を集めた段階でちゃんと説明します。そして、その場に出席していない人がいた場合は、「複数」の出席したメンバーが伝えて下さい。

 第二に、ゼミに関係することだが、ゼミ全体で話せない内容(もっと言えば、他のメンバーに聞かれたくない内容)です。これは、他のメンバーを信頼できないときに起こります。これは、メンバー個々人の責任ではなく、基本的に集団の管理者である私の至らなさです。この場合は、まず、私が謝ります。そして、それを解決するために全力を尽くします。

 第三に、ゼミに関係しない個人的な問題。これに関して、私がどれほどのアドバイスが出来るかは正直自信がありません。でも、一人のおっさんとして真面目に考えましょう。

 最後に繰り返します。私はゼミ生を愛します。色々なことを周りから言われたのにも関わらず、西川研究室を選んでくれた、それだけで愛するに十分値します。そのために『学び合い』で運営していることをご理解下さい。

 

 

 私は「ホウレン」はいりませんと宣言しています。それは最低限のリスク管理をしているからです。そして、最低限に関しては、みなさんにルールとして徹底します。その意味で、以下に関することは、絶対に禁止します。

絶対的なルール

暖房器具使用方法

  「一酸化炭素を感知するストーブを利用すること」、「オイルヒーターを併用すること」、「ドアの上部の空気穴を開けておくこと」は絶対的なルールとします。なお、密閉度の高いスタジオにおいては、オイルヒーターのみを使い、ストーブの使用は禁止します。

 

ウイルス対策の徹底

 西川研究室のメンバーは必ずウイルス対策ソフトをインストールしたコンピュータを使用してください。インストールしないコンピュータはインターネットへの接続の有無に関わらず、西川研究室関連の部屋への持ち込みを禁止します。
 ウイルスはインターネットに繋ぐことにより、自分の意図していないのにコンピュータの中に入ってしまう(感染といいます)ソフトです。インストールされると、様々な悪さをします。最悪の場合は、コンピュータに保存したデータが破壊されたします。さらに、恐ろしいのは、感染されてしまうと、自分のコンピュータをインターネットに繋ぐと、他のコンピュータに向けてウイルスを発する役割をします。つまり、どんどん広がっていきます。このような働きをするためウイルスといいます。
 学生さんの中には、ウイルスはそんなに頻繁にはないと思っているか違いますが、それは違います。私の場合はウイルス対策ソフトをコンピュータに入れているので、ウイルスが入りそうになると、「今、入りそうになりましたが、駆除しました」という警告が出されます。私の場合だと、日に2,3は必ず来ます。つまり、何も対策をしておらず、インターネットに繋げていれば、1週間以内には必ずウイルスにかかると考えた方が正しいと思います。
 私の場合はインターネットに「殆ど」繋げていないから大丈夫、とお考えの方もいるかも知れませんが、繋げている「その時」に来るとも限りません。
 また、「私のコンピュータの中にはたいしたものが入っていないから大丈夫」と思っている方もいるかも知れません。しかし、それは違います。たしかに、自分のコンピュータのデータが破壊されたとして、「災難だった」と諦め、コンピュータを最初からインストールし直せばいいだけです(ただし、数日はまともに使えないでしょうね)。でも、問題は、そんなところにあるわけではないんです。
 もし、「あなた」のコンピュータが感染されたとします。ウイルス対策ソフトを導入していない「あなた」は何も気づきません。何日もの間は、ウイルスは何もしません。そして「あなた」は気づきません。その間、あなたは色々な友達・お世話になっている人に電子メールを送ります。1週間の間にみなさんはどれだけの人に電子メールをしているでしょうか?また、2週間では、3週間では、・・・、とても多いと思います。 その多くの人たちに、ウイルスに感染したメールを送り続けることになります。
 数週間後、突然コンピュータが暴走し、あなたのコンピュータのデータが全部無くなってしまいます。もし、その時が修士・卒業論文の提出間際、だったら、そして、大事なデータはコンピュータの中にだけあったとしたら・・。私の大学院の同級生は、実際にそのようなことがありました。そして彼は大学院を退学しました。
 もし、幸いにして、「あなた」はCDにバックアップを取っていました。そのため再インストールには手間取りましたが、なんとか復旧しました。と、ところがです。その時、あなたの友達が血相を変えてあなたの所に来ます。聞くと、「あなた」が発したメールにウイルスが感染していたため、そのメールを読んだ友達のコンピュータが感染して、そのため、友達のデータが完全に破壊されてしまったというのです。そして、その友達はバックアップを取っていませんでした。どうします・・? きっと泣き出すでしょう。また、あなたに「責任を取って」とつめよるでしょう。そして、そのような友達が10人も出てきて、あなたを非難したら、あなたはどうします。そして、その中の何人かが大学を退学したら・・・。
 上記のことは、私に起こったことです。幸い、私の感染したウイルスは、極めて良性で、悪さをしないタイプでした。しかし、それであっても、ウイルスに気づいたときは総身から血が引く思いでした。そして、その期間にメールを送った人に電話をかけ、一人一人、平謝りをしなければなりませんでした。もし、悪性のウイルスで、復旧不可能な被害を与えてたら・・・。想像すると吐きそうになります。その経験があるので、ウイルス対策ソフトは大事だと、心に刻みつけられました。
 本来ウイルス対策ソフトを装備しなければインターネットに繋いではいけないというルールは伝えたはずです。それにも関わらず、それを怠り、その結果として他人に迷惑をかけたら・・。過失で交通事故を起こすのと、飲酒をして交通事故を起こすのでは責任の問われ方が違います。ウイルス対策ソフトを装備 していないにもかかわらず、「ちょっとだけだから、インターネットに繋いじゃおう」という「あなた」、「あなた」の行為は、「コップ一杯だから大丈夫」と飲酒運転する人と同じ事ですよ!重大に考えて下さい。えへらえへら笑っていられる問題ではありません。 もちろん、あたながウイルスに感染したとしたら、あなたは被害者です。でも加害者でもあるんです。考えてください。「私も被害者なんだから!」といって、あなたが迷惑をかけた人が納得してくれると思います?
 上記の危険性を犯すのと、飲み会1回分のお金を投資するのと、どちらがいいですか?
 私はちゃんとウイルス対策ソフトをコンピュータに入れているから大丈夫という人へ。ウイルスは絶えず進化し続けています。常に、最新の情報に更新していなければ、それは、ウイルス対策ソフトを入れていないことと、「同じ」です!
 最後に、インターネットに繋いでいないからOKという考え方も不可です。使える環境にあれば、「ちょっとだけなら」という気持ちが起こらないとは言い難いと思います。さらに、もっと大事なのは、西川研究室の活動にはインターネット使用が不可欠です。ご理解下さい。

 

移動方法の安全

 ゼミ活動で各地に移動する場合は少なくありません。その場合は、基本的に公共交通機関を利用して下さい。青春18切符や団体割引を利用すれば、かなり安価になります。もし、車の移動をする場合は、交通安全に一層心がけて下さい。特に、保険が運転者限定で一人のゼミ生しか運転できない車で長距離移動をすることを禁止します。また、睡眠不足になる計画も禁止します。命が係っているのですから、多少のお金をケチらないで下さい。


研究

 研究で絶対にやってはいけないことは二つです。それは改ざんと剽窃(ひょうせつ)です。改ざんとはデータを変えることです。剽窃とは他人のデータ、他人の文章を、利用したと言うことを明記せずに使うことです。

 データをとっていくと、そのデータが初期に考えていた予想に反する結果になる場合があります。そうなると、それまでの苦労が無駄になると思い、「ちょっとだけなら」という気持ちになるかも知れません。でも、絶対に駄目です。研究は事実に基づいていなければなりません。逆に言えば、事実に基づいていればOKなのです。最初の予想ではAであることを証明しようと研究し、結果としてAではないという結果が得られたら、「Aではない」という論文を書けばいいだけのことです。

 最初の予想は、今までの研究の蓄積に基づいています。それに反する結果が得られたと言うことは、今までの研究を塗り替える素晴らしい研究になる可能性が高いです。じっくり吟味すれば、必ずそれらの結果を整合させる理論の構築は可能です。自然とはシンプルで公平なものです。

 なお、自分でも訳が分からないデータをダラダラと論文に書くことは決して正直とは言えません。論文は自分の悩みの告白録ではありません。読む人がコンパクトに新しい情報を得ることが出来るものが論文です。事実に基づき、整理し、それを記載するのが論文です。

 おそらく意図的に剽窃する人はいないと思います。でも、ありがちなのは、論文の「はじめに」とか「結果のまとめ」とか「レファレンス」のところをカットアンドペーストで使ってしまうと言うことは学生さんの場合はあるかも知れません。でも、これも剽窃です。そして、見る人が見れば直ぐにばれます。論文は広い範囲の人が読むのです。絶対に分かります。それに準じることですが、文末を多少加工して使うと言うこともありますが、これも剽窃ですし、ばれます。多くの先行研究を読み、自分で考えれば決して同じ文章になるはずありません。書き手の癖もありますし、何よりも扱っている題材が違うのですから当然です。

 なお、引用は論文の価値を高めるためにどうしても利用したい最低限の範囲を利用し、それが明記されていることが必須です。どう考えても、「はじめに」とか「結果のまとめ」とか「レファレンス」のところをカットアンドペーストは、本人が手抜きをすることが目的で、論文の価値を高めるためではないことは明確です。

 繰り返します。研究の入門者である学生さんにおいても、改ざんと剽窃は重大な罪であり、許されるレベルではありません。


現場学校への最初の交渉

 個人の資格で入るのではなく、「西川研究室」という看板を背負って現場にいく場合は、学校現場に研究ではいるとき、その最初は、西川に了解を取ってください。相手方とどのように対応するかは私が最初に判断します。現場学校で失敗すれば、後輩に迷惑がかかります。

 ただし、私が相手方と交渉をして「あとは直接連絡を取り合ってやって下さい」と言った後は、みなさん(繰り返しますが個人の判断ではありません)で進めて結構です。私がこういうときは、相手方とそのような進め方をしてよろしいという了解を得たことを意味します。また、既に同様な関係を結んでいる場合は、即答で「その相手ならば、西川研究室のものだといえばいいよ」等の指示をします。でも、最初の相手だと「思ったら」私に連絡して下さい。なお、相手校が同じであっても、窓口の先生や管理職が代わった場合は最初と相手と考えて下さい。

 なお、相手学校でその後に起こった不都合は、みなさんで話し合って私に相談すべきことは私に相談して下さい。


物品の購入

 物品を研究費で購入する場合は、西川に了解を取って、西川が手続きをします。領収書を持って、西川に事後報告をするのはやめてくださいね。そのようなことは大学では処理できません。勝手に購入した人の私費で処理することになります。

 

再認識して欲しいルール

期日厳守

 私との話し合いの最後に、「では、次はどこまでやる」、「いつまでにやれる?」ということを聞かれる場合は多いと思います。その際、自分が言ったことは守ってください。時には、「これこれまでに、これこれしようね、出来る?」と私が提案する場合もあります。無理だったら、無理だといってください。私は、研究計画の全体的なタイムスケジュールを勘案して提案し、そのためにそれを説明します。それでも、無理だったら無理といってください。一度、「はい」と言ったならば、それはあなたの判断なんですから。
 と言っても、世の中、色々なことがあります。やろうと思ったが、出来なかったということもあるでしょう。その場合は、前日までに、「これこれの理由で出来ませんでした。これこれまでに期日します。」と連絡してください。せめて、それぐらいは守ってください。

 

学会発表

 教職大学院も教職デザインコースも修士論文・卒業論文を修了・卒業の要件とはしていません。しかし、学修の成果をまとめることは必須要件としております。そのために学会発表を求めます。 

 しかし、どの程度学術であり、どの程度実践であるかは各人の判断です。また、協働でそれを作成することもOKです。 

 そのような成果物は、卒業・修了の年の後半で魔法のように現れるわけではありません。節目節目でそれまでの成果をまとめ、多くの人の意見を求めることによって作成することが出来ます。 

 そのため、M1・学4の冬、M2の夏・秋・冬の発表を基本的に求めます。ただし、夏の発表に関しては教員採用試験の人は免除します。また、発表の場は学会のみではありません。教員の学習会・研修会でも結構です。 

 そして卒業・修了時に成果をまとめることを求めます。ただし、論文形式以外の成果のまとめでも結構です。ただし、一般的に言えば、人に伝わる成果物を作成しようとした場合、数百年間の中で形成された「目的」、「方法」、「結果」、「結論」、「議論」の書式に合わせて書く方が「楽」です。

 

お金に関して

 非常にシビアな話ですが、全ての学生に同等に接するために基本を定める必要があるので定めました。ルール以上の常識として理解下さい。

 公費と私費があります。前者は仕事を遂行するために使うお金であり、後者は家族のために使うお金です。
 私は学生さんを指導することに関して公費はいただいていますが、私費はいただいていません。もっと分かりやすく言えば、学生さんを指導するために研究費はいただいていますし、それをそのために使っています。しかし、学生さんを指導することで給料は一文も増えません。学生さんには意外かもしれませんが、指導する学生が多い大学教員と少ない教員の間に給与体系には差がありません。極論すれば、上越教育大学において個人指導はボランティアなのです。

 人と人との関係なのですから、公費だけでは収まらないことは十分に理解しています。例えば、私は指導教員からいっぱい奢ってもらいました。そのため学生さんに奢ることに抵抗感は少ないですし、事実、かなり奢っていると思います。が、それは私の「小遣い」の範囲内です。私の小遣いはごく普通の公務員の家庭並みです。従って、小遣い以上のものを要求するときは、それは私に要求しているのではなく、私の家内や息子に要求することなのです。

  例えば、結婚式に参加を求めると言うことは、祝儀や旅費を考えると、私の家内や息子に「5万円以上下さい」と求めると言うことです。それを求められる方はいるでしょうか?なお、指導教員を友人、親戚と同列に考えないで下さい。友人や親戚はお互い様です。つまり、自分も参加するが相手も参加するという関係ですので相殺されます。しかし私はそのような関係ではありません。

 公費に関しても注意が必要です。研究で必要な予算は公費で処理します。公費の使用に関しては、その管理は私に任されています。それを忘れないで下さい。二つのことを注意して下さい。

 第一に、公費の場合は、一定の手続きを踏んでから使えるものです。手続きをすっ飛ばしお金を使った場合は、公費で補填できません。その場合は、ご自身の私費で補填して下さい。少なくとも、私の私費で補填することを求めないで下さい。例えば、研究で必要なものを私に無断で買ってきて、その領収書を私に持ってきて何とかして欲しいと言われても処理できません。

 第二に、個人の研究で使うものは個人で購入して下さい。私が公費処理するのは複数のゼミ生が定常的に使うものです。個人で使うもので買えない場合は、それを使わない研究をすれば良いだけのことです。

 私は家族を守らなければなりません。そしてお金は家族に関わることです。お金のことを安易にすることは続けられません。続けられないことはやめなければなりません。そして、あるゼミ生にはやって、あるゼミ生にはやらないということが無いようにしたい思います。そのため、非常に分かりやすい基準を定めました。ご理解下さい。

 

本当は廃止したいルール

備品の管理

 本研究室で行っているような長期にわたって学習者・教師に密着する研究を行うには多数の機器が必要です。実際、本研究室には総額一千万円弱の多数の記録機器があります。
 それだけの機器が必要であることは理解しています。だから、必要であるならば、出来るだけ皆さんの希望を叶えるように努力しております。また、使用の結果、消耗し使用不可となったとしても、ゴチャゴチャ言いません。
 基本的に機器管理はメンバーに任せていました。しかし、残念ながらお任せするに不安な事態が生じています。
 第一に、行方不明の機器がある点です。使用の結果として使えなくなるということは了解しています。補充も計画しうる範囲内に収まります。しかし、管理が不備のため不明になるということが多くなった場合、予算がいくらあっても足りません。
 第二に、管理責任者から、「みんなに連絡しても徹底しないから分からない」、「そんなこと聞いていない」等の反応が来ます。私としては、管理責任者と契約しているのではなく、学習者集団と契約しています。つまり、皆さんが管理できるならば機器を買いましょうという契約をしています。
 上記の契約が成立しなければ、機器の管理は私がやることになります。私は機器の管理をする余裕はありません。従って、自分の研究をする場合は、自分の才覚で確保して欲しい、それが出来る範囲内の研究にして欲しい、という契約になります。そのような状態を避けたいのは、私と同様に皆さんも同じだと思います。あらためて再確認します。
 特に、年度の切れ目にはちゃんと引き継ぎをして下さい。毎年、新年度になって大量に機器を使おうとするとき、あるべき機器がないということが起こります。そして、あたかも前年度の担当者のミスであるかのような言い方をされる場合があります。しかし、わたしは皆さん全員に任せているのであって、皆さんの中の担当者に任せているのではありません。引き継ぎをしていないというのは、皆さんのミスであって、担当者個人のミスではありません。

 私は、「みさなん」が管理できるという契約の基に、皆さんの希望する機器を確保する努力をします。

 

消耗品管理

 以前は研究で必要とされる消耗品(紙、トナー等)は研究費で補填しておりました。しかし現在は、最低限の使用量は研究費で補填するが、それを越えた場合は研究室のメンバーで補填する、その管理方法は任せる、という方式になっています。
 何故、そのようなことになったかといえば、以下のようなことがあったからです。
 かなり以前のことです。ある院生さん(30歳を越えていました)が大量に印刷していました。隠れるように印刷していたので、調べてみると、アルバイトの塾のための印刷を行っていました。そこで、研究室で用意した消耗品は、研究に使うために教員に配分された予算で買っていることを説明し、善処を求めました。残念ながら、その行為は改めることはありませんでした。私の研究室の院生さんではなかったので、それ以上は言えませんでした。
 ある年度の修士論文の作成の最終段階になると、紙やトナーが異常に消耗しました。その金額は、高額の機器に匹敵するほどです。不思議に思って控え室にいくと、ゴミ箱には山のような印刷 済の紙がありました。見てみると修士論文の全文印刷です。それが何部もあります。何故そのようなことが起こったかと言えば、修士論文作成で「ちょっと」推敲するたびに、全文である数百枚を印刷していたからです。それが研究室の半数以上の方がしていたので、あっというまに大量の紙とトナーが消耗されました。
 残念ながら、上記の状態を私は管理し切れません。また、管理したいとも思いませんでした。平成9年に、高速のプリンターを買って欲しいと研究室のメンバーから希望されました。そこで、上記の理由を説明し、「今までのプリンターならば消耗品を全てこちらで用意する、もし高速プリンターにするならば、一定量はこちらで補填するが、それ以上はメンバーで補填して欲しい。その方式は任せる。」と選択 してもらいました。その選択の結果が現在の状況です。

 

西川の公開カレンダー「ゼミ」の管理の方法

  1.  私の関係するゼミ活動(ゼミ、飲み会、旅行、越後『学び合い』の会、支援校への手ほどき等)の予定を入れて下さい。私の関わらない予定は入れないで下さい。
  2. 全体ゼミ、個人ゼミは毎週定時を基本とします。しかし、ゼミ所属1年目(修士1年・学部3年)の1月以降は、希望により個人ゼミを隔週定時とすることが出来ます。
  3. 休日の個人ゼミ・全体ゼミは自動的に削除して下さい。また、ゼミ生の都合により全体ゼミ・個人ゼミを変更することは可能です。これらの場合は、その間隔が3週間(私の出張期間は含みません)を越えないように自己調整して下さい。私への連絡は不要です。
  4. 私の仕事が入ったための予定削除は私から連絡して削除します。前項に基づき、自己調整して再設定して下さい。私への連絡は不要です。
  5. 個人ゼミ以外の変更は、直ちに「メール」で連絡して下さい。(口頭の連絡は忘れます)
  6. 出来るだけ複数で個人ゼミを受けて下さい。(岡目八目の効果で、他の人への私のアドバイスは分かるものです。)個人ゼミを共同することよって学年ゼミ、学部ゼミの運用が出来ますが、予約は「ゼミ(個人名)」で管理して下さい。
  7. 「勤務時間外」・「大学外」のゼミ活動は事前に「メール」で承諾を得て、入力後に確認「メール」をして下さい。