私は長い間、『学び合い』の生の姿を知っていただくために、全国各地の方から参観希望があったとき、快く仲介をしていました。『学び合い』は基本的に毎日の教育活動です。だから、日をあわすのが比較的簡単です。そして、参観者が来れば子どもも教師も刺激を受けます。参観を受ける側もウエルカムであることを知っているからです。しかし、ある事件(後述)があったことにより、残念ながら、その方針を変えることとしました。以降は以下の基本方針で行います。私は基本的には仲介しません。私のブログの右には『学び合い』を実践されている方のブログ群があります。そこにはメールアドレスを公開している方も多いので、その中から選んで下さい。もし、私が仲介する場合は、以下を守って下さい。
1) 授業を公開してくれる学校、教師、子ども達に対して敬意を払って下さい。見せてもらっていただくという気持ちを持って下さい。「見てあげる。感謝しろ」というスタンスの方はお断りです。
2) 『学び合い』は多くの方にとっては、かなりラディカルだと思います。従って、それを参観して直ちに賛同していただかなくても結構です。いや、疑問がわくのは当然です。さらには反感を持つ場合もあると思います。その結果として、授業を批判的に分析する場合もあるでしょう。そして、それを何らかの形で公的に表明することもあると思います。しかし「1」の基本のもとに大人の表現を求めます。なお、公的とは、不特定多数に発する情報発信を全て含みます。
3) 具体的な授業で起こった「こと」を批判的に分析し、公開することはあったとしても、公開していただいた学校、教師、子ども達の品性・人格を分析し、それを貶めることを公的に表現しすることは絶対にしないで下さい。もちろん、個人的にそのような感想を持ち、内輪の中でそれを話すことを止めはしません。
4) 基本的にその組織の長が上記を了解している旨を明記して下さい。組織人として参観するのであれば、上記を守っていただける可能性が高まります。(ただし、各人は様々な事情があります。その事情を明記していただければ、絶対条件とはしません。)
以上を守ることを依頼文書(電子メールも含む)に明記して下さい。書式は自由です。 さて、こんな馬鹿馬鹿しいことを求めるようになったいきさつは以下の通りです。
教材開発や実践書に関して優れた実績のある現場経験の長い大学教員の方がいます。その方が『学び合い』の授業参観を希望されたので、私が仲介しました。
その方がツイッターで以下のような発信をされました。
「今日は理科授業を参観。1時間だけでは何ともいえない。授業後、ある教育入門書を前に教育観、授業観を説明されたのにはまいった。一応、ぼくは教育学研究者なんだけど。ほら、カルト宗教に洗脳されたばかりの人がマニュアル通りに説法するような…。」 「理由がわかった。まだ教員経験も浅く、教育学系の本もあまり読んでいないようだ。「学びの共同体」を学んだことがないというし。ちょっとまじめすぎて「ハマりやすい」性格だなあと思った。帰り、某教授と雑談して帰って来た。」
大人の表現を守りさえすれば、授業を批判することは健全です。しかし、授業公開してくれた人に対して、上記のような発言がありました。そして、その人は、それを削除することを拒否されました。世の中、様々な正義があるでしょう。でも、このような正義があることを知り、私に関して、上記のようなガイドラインを設けることとしました。 ご不快とは思いますが、上記のような具体的な経験をしたことをご理解の上、ご寛恕を頂きたいと存じます。